「本来想定されていた闘戦記」への接近

supasuta

 ついにⅠ・Ⅱと同様、むらがるゾンビ戦術にて撃破された闘戦記Ⅲ。これもうどっちが「聖守護者」だかわかんないよ。

 しかし聞きしによると、どうもこの戦い方は開発側が想定していたものとは違うらしい。

「ユーザーが作り手の想定を超えていく」というのはゲームの醍醐味の一つでもあり僕なんかは興奮を覚える事案だが、いっぽうで「本当はどんな想定だったのか?」も気になってくる。

 材料は少ないけれど「本来の台本」に近づくべく知恵をこらしてみよう。


 ちなみに僕の耳に入った情報は

・仲間モンスター入り構成も、そして天地の現状の使い方すらも想定外だった

というコトのみである。この話の真偽は、今日のところはわりとどうでもいい。ただ「今とは違う姿」の闘戦記を思い描ければそれでイイのだ。ここから話を広げていこう。
 

明らかにイレギュラーなゾンビ戦術

 カカロン・僧侶・葉っぱばら撒きによる蘇生合戦と、無敵時間をも利用した猛攻がもっぱら闘戦記の軸となっている。しかしこれが「想定外」であることはⅢの登場によって明確になった。

 Ⅲになり、敵はドラゴンビートを搭載してきた。敵の攻撃がよりいっそう即死級になったが、これはすでに痛みを感じない体となっていた我々にはほぼ無関係の話であった。

 同様に、覚醒の咆哮や獣魔の咆哮といった強化技も「わざわざHPを下げてやってくる」狂人のごとき我々には興味の埒外であり、その使用が実質的にこちらのボーナスタイムとなっている始末。獣魔の咆哮にいたってはわざわざ2体固まってくれるので「今だ、やれ!」と言わんばかりである。

 通常、バトルというのは後半戦こそが山場となるが、闘戦記ではむしろ、こうした「ボーナスタイム」が増える後半の方がラクになる逆転現象がおきている。ユーザーの思惑とバトル設計の乖離は明白だ。
 

我々はいつ耐えることをやめたか

 僕らがゾンビパウダーをこの身に浴びることを決意したのはいつだろう。これはおそらく、戦士の耐久力が通用しないと分かった時点ではなかろうか。

 最近のアプデにて、真やいばは「ダメージ削減部分」と「ヘナトス部分」へと分離されていたが、ローガストの性質がこの「ヘナトス部分」に対してマウントを取ってきたために、闘戦記における戦士の魅力は薄れた。

 当初の戦士構成が崩された時、我々は岐路に立った。「パラ相撲戦術」「ゾンビ戦術」である。そのどちらもが試行され、結果としては後者が広く選ばれた。
 

重さラインの絶妙さ

 さて、当初から「骨にも犬にも押し勝てる」という事実は周知されていた。しかもレギルラッゾの重さは絶妙にパラだけが押せるように設定されており、それだけが唯一の解ではないまでも、闘戦記にパラの席ができるようにと配慮されていることはほぼ間違いない。

コラム

ただし、Ⅲのレギルに関してはパラですら限界ギリギリで押し勝ちというラインになっている。どのくらいかというと、禁断おもさを含めて宝珠を全部使い、アクセを全て重さ理論値で埋め、体上錬金で30を積み、足錬金で51が必要という具合だ。これは「拮抗で頑張りたまえ」というメッセージだろうか。

 いっぽうで、ローガストの方は良心的ともいえるほどに軽い。Ⅲであっても635で押し勝ちとのことなので、倍率1.5倍に弱体化したズッシでも戦士で押し勝てる。2人がかりならズッシすら不要だろう。

 やはりというべきか、この重さ設定には一つの意図を見出したくなる。Ⅲになってビートを搭載し、行動速度もさらに苛烈になったレギル・ローガの攻勢は、現状のゾンビ戦術以外で、となったら「完封」気味に押さえるしか手が思いつかない。
 

まとめて倒すという図式

masounen

 想定外の一つとされた仲間モンスターの参戦だが、基本的に僧侶の代わりであるキメラよりも、代替不能なキラパンの存在こそがキモだろう。

 現状のキラパンの強味は「蘇生後を含めた圧倒的な行動速度」と「固定の範囲火力」にある。前者は人間にはマネできず、後者もかろうじて占い師だけが競っていけるという具合だ。

 ところで、ゾンビかどうかはともかく、敵2体をまとめて相手にする戦いが想定されていたのなら、いなずまキラパンの躍進は容易に想像できることだ。となると、キラパンの火力が人間を凌駕してしまうその戦い方自体が想定外である、ということになる。

 つまり、闘戦記の基本構造は「1体ずつ倒す」ことにあり、後半戦は残り1体+想念との戦いになる、というのが本来の図式ではないのかと思えてくるのだ。
 

天地の席はあったのか

 天地に関しては、おそらくカカロンを利用した人類骸化計画こそが「想定外」なのであり、天地自体の参戦可能性は配慮されていたように思う。これは敵の属性耐性に顕著に出ている。

 レギルの弱点は「土>炎=風=光」であり、ローガにも土・風・光は通る。 おあつらえむきに天地の特技がよく刺さるわけである。ほかには土属性の特技なんてランドくらいしかない。ついでにいうとローガにだけ炎が通らない、という設定にも魔法使いを含んだ職業バランスへの配慮が見える。
 

まとめ

 妄想に妄想を重ねて書き連ねてしまったが、大きく言えばポイントは

・2体同時に処理する乱戦自体が想定外なのではないか
・「頑張れば押せる・頑張らなくても押せる」の組み合わせに意図があるのでは

の2つに集約される。

 といっても、かりに開発側が想定したとおりの戦い方にいつか辿り着けたとしても、それが今使われている戦術よりも「勝ちやすい」という保障はない。そして、それに従う必要もとくにない。

 個人的なスタンスの話になっちゃうが「ユーザーの発想が作り手の上を行き、それがあまりにゲーム性を壊しているなら修正が必要となり、再び遊び手・作り手双方による試行錯誤がはじまり…」という一連の流れは、「誰かの作ったモノ」で遊んでいるかぎり当たり前に起こる現象であって、そしてその過程自体にもたくさんの楽しみが見出せるモノだと思う。

 かりにそうした事態が皆無であるのなら、僕らはただ「作り手の意図」を汲んで、用意された正解を探す旅を続けることになる。

 語弊を恐れずに言えば「ゲームは完璧でない限りにおいて広がりを持つ」のだ。遊び手も作り手もごっちゃになった空間と好意的に接していくことは、ゲームというモノを愉しむ一つのコツなんじゃないかと、ワシは思うよ。