僧侶が「後衛」ではない闘戦記

このブログをよく見てくれている人はご存知かもしれないが、かりんとは脳筋である。いっぽう妻のアンいりは僧侶など後衛好みだ。

が、闘戦記ではかりんとが僧侶をやっている。なぜか。闘戦記の僧侶は後衛ではないからである。という建て前で僧侶を押しつけられたんだ助けて。

コレは言葉遊びのようなモンで「後衛」という語に何を見出すかの話でしかないが、少なくとも闘戦記(ことにⅢ)において、僧侶は他職の後ろに位置してサポートをするという立場ではない。つい安全圏に逃げてしまうという立ち回りが、闘戦記ではつまづきのもとになる。

こんな切り口から始めて、闘戦記Ⅲの乱戦をみすえた僧侶の動かし方について書いてみよう。
 

無敵時間の活用

muteki

 すでに周知されている気もするが、闘戦記においては蘇生後の無敵時間で敵の攻撃を吸収することが非常に重要だ。

 やり方はシンプル。生き返った直後はなるべく敵の周囲にとどまること。これは同時にローガストの狂い裂き・魔蝕を「使わせる」ことにもつながる。レギルラッゾの方にはこうした誘発させるべき技がないので、基本的にはローガストにアプローチを仕掛けるといい。恋に落ちない程度に。

 逆に、中途半端に下がったり相撲をしたりして、結局無敵が無くなってから被弾するというのはソンである。乱戦を志向している時点でマトモな相撲はほぼ成立しないし、敵をバラけさせるのもよくない。僧侶とて後衛ではない、というのはこのへんの事情にも由来する。
 
 くわえて、生者のことを考えて敵の直線攻撃を誘導する動きもしよう。ウィスパーなどをあさっての方向へ導くのだ。方法はダクキンのやみのはどうのアレと同じ。自分が敵の一番近くにいればいい。そう、誰よりも近くに…(落ちてる)。
 

無敵ではないときの誘導

 無敵ではなくなってからも、僧侶とてむやみに後退してはいけない。天地しかり占い師しかり、攻撃役は僧侶以上に長く足を止めることになるので、誘導や「行動再選択の阻止」は主に僧侶の仕事となるからだ。キラパン入りだと彼が勝手にそれをやり、そして散っていくことも多いけど。

 「行動再選択の阻止」とは先にも述べたような、回避可能な範囲攻撃を「使わせる」立ち回りのコトだ。ローガストの周囲に誰もいない状態が続くと、通常攻撃やデュアルクローの頻度が増して負担が増える。

 実際のやり方としては、敵の攻撃範囲のギリギリあたりを移動するのが理想だ。接近しすぎると避けられなくなる。また、足を止めていると「ウィスパー見てから回避」は難しいので、基本的に動き回っている方がラクだ。マグロのように回遊すべし。


 ただし、ローガストの魔蝕が解禁されていない(HPが75%以上ある)時は「大地の爪牙」の頻度が高く、僧侶がショック状態になってしまうリスクが大きい。コレを避けるなら魔蝕解禁までは「行動再選択の阻止」を放棄することになるが、正直いって僕にはどちらが正解かまだ分からない。

 ひとつ言えるのは、ローガストの魔蝕解禁前は、解禁後より苦しいということだ。前半戦で崩れると「こんな段階でコレでは…」と考えがちだが、その必要はない。その段階がまさにキツいのだから。
 

コラム:大地の爪牙を避ける

どうやら大地の爪牙にはわずかな準備時間があるようで、誘発させた上で避けることも不可能ではないらしい。上にも書いた「攻撃範囲ギリギリを移動する」が理想的にうまくいっていると回避できる。…らしい。未だラグのない時間帯に戦えていないため確実な検証ができていない。

天使の使い方

damenarei

 無敵を利用した立ち回りの実戦後、僧侶はだいたい天使をかけ直すことになる。その際のポイントとしては、今度は逆にローガストの近くにいないことだ。天使は前半の準備硬直さえ終えればかかるので、そのあと死ぬ分にはわりと構わないのだが、天使を解除するウィスパーだけは別である。画像はやっちゃダメなやつ。

 ちなみに僧侶がウィスパーを被弾しちゃったときの安定行動は、脊髄反射で天使のかけ直し。どうせ歩けなくなってるので他にすることがない。

 僧侶が大きく足を止めるのはほぼ天使の使用時のみ。このタイミングだけは普段と違うコトに注意し、そのほかは無敵でも無敵でなくても大体同じ動きをする、というのが僧侶の実際のように思う。
 

置きザオの有用性

 闘戦記では死者を即座に蘇生させることのメリットがとくに大きい。「即座に」というのは死亡を確認してすぐという域を超えて、死亡を予期してザオを置くということを意味する。早ければ早いほどいい。

 具体的に死亡を予期できるシーンは、瀕死状態の仲間が敵にターゲッティングされている時や、何かのモーションに入っていた仲間が急にそれを中断した時だ。ちなみにちょっと可哀そうな話だが、キラパンは最も「死を予期しやすい」仲間である。

 みかわしやロザリオの発動でその予期が外れることもあるが、それでもなお「置きザオ」は有用だ。置きザオの理想的タイミングは、そうした僥倖を確認してキャンセルできるくらいのところ。こういう時は早詠みが逆にデメリットになるかもしれない。

 置きザオはアクションゲーマー気質の人間には得意分野だが、すばやいコマンド・対象選択などアクション性がやや高いために苦手とする人も多い様子。その重要性を知っているからといっても、みんながみんな同じレベルでは実践できないということは分かっていた方がいいように思う。

 ところで、ラグが発生している環境ではこの置きザオはほぼ実践できない。
 

おわりに ウマい立ち回りとは

 ここまで主として「動き方」の話を書いてきたので、このことも書いておきたい。DQ10における「ウマい立ち回り」には、理にかなった動きをすることのみならず、限られたターンを有効活用するというコトが含まれる。

 回避、誘導、再選択の阻止…これらは全て重要だが、それに躍起になるあまり、自分の手数を極端に減らしてしまっては本末転倒になる。リスクは減らすことはできても、無くすことはできない。回避可能な攻撃を全て避けてもタゲられれば死ぬ。ゆえに、極端な様子見をすると結局ソンをするのだ。

 共感を得られるかはさておき、乱戦の闘戦記はフツウに難易度が高い。しかもアクションゲーム的な意味で高いので、今までのDQ10になかったような難しさだ。僧侶などほぼやってこなかった僕が、今回ばかりは本職僧侶のアンいりよりも早く戦いに慣れてしまったが、まさに得手不得手の問題だと思う。みんなの近くにも「こういうのは得意」という人材が隠れているかもしれないぞ。