闘戦記の「ムズかしさ」にどう向き合うか

 前回の続き。
 
 「闘戦記のムズかしさ」が「100%の正解の見つけづらさ」であると考えたところまでが先日の成果だ。

 うーむ、しかしコレでは事態を抽象化しただけにすぎない。肝心の「対応策」が抜け落ちている。

 先日は、60%の正解よりも80%の正解を…というコトバを遺して息絶えたと思うので、今日はそのことをもう少し掘り下げてみよう。あくまで読み物レベルでね。

 100%の正解が見当たらない時に我々にできるコトは、より正解となる率が高そうな選択肢を選んでいくコトしかない。いわばリスク管理である。思うに、乱戦の闘戦記はコレをつきつめていく戦いだ。それを考える助けになりそうなポイントをいくつか挙げてみよう。 
 

確率発動はラッキーパンチか

 これまでのDQ10においては、みかわし盾ガード、そしてロザリオの発動といった事象は「支払ったはずのコストの回収」もしくは「何かをしくじった時の救済」といった意味合いを帯びることが多かった。
 もうちっとカンタンにいうと、発動を信じて戦術をたてるような対象にはなりづらかったというコトだ。我々は改心前のホフマンであらねばならなかった。さあ帰ってくれ!

 しかし、闘戦記では「みかわしや盾ガードはラッキーパンチであり、ハナからあてにしない」という信じぬこころが、逆にリスク管理を誤らせる場合があると思う。

 たとえば、2段技のデュアルクローに対して聖女は無力と思われがちである。けれども、みかわし率をある程度もっているキャラは、2回のうち1回くらいはけっこうな率で回避することを知っていれば、そうではないコトがわかる。
 つまり聖女を過小評価することを防ぎ、リスク管理の正確化に資するワケだ。
 

範囲攻撃を全て避ければ正解か

 回避可能な攻撃をくらってしまえば、基本的には大きな損失になる。…のだが、では「回避可能攻撃をすべて回避していれば常に正解」だと考えていいかというと、コレは少し別の話になるかもしれない。


 ここでちょっと、食らった時の損失の大きさで敵の回避可能攻撃を格付けしてみよう。

【1】邪魂冥道波・魔蝕・ジバルンバ・獄門クラッシュ
【2】狂い裂き・大地の爪牙・シールドブーメラン
【3】シャドウウィスパー・闇の流星(※周囲を巻き込んだ場合)

 基準は大体わかってもらえると思う。
【1】のグループは単発で、聖女の一つでもあれば死を免れるものたち。【2】は多段だったり、ダメージ以外の負担を強いられるものたち。そして【3】は「1人が死ぬ」以上のコストを支払わされやすいものたちである。

 「天使のかかった僧侶がシャドウウィスパーを食らってでも何かをする」というのは、確かに黒字化するとは考えにくい行動だ。同様に、闇の流星で味方を巻き込んでまで何かをすべき…というのも、絶対ないとは言えないが、まずないだろう。【3】に格付けしたゆえんだ。

 いっぽう「聖女や女神のかかったキャラがジバルンバを踏み抜いてでも誰かを最速蘇生しに行く」というコトであれば、これは状況次第ではかなり正解に近い場合もありうる。
 先日、具体例として使った「ローガストの次行動を無視してでも僧侶が蘇生に行くべきか」のお話もコレに近い。

 つまり「すべて回避が常に正解」という思い込みはリスク管理を誤らせる場合がある。
 これはとくに「まだ来ると決まっていない範囲攻撃をどこまで想定するか」という観点から重要になってくる。さすがに「もう見えている範囲攻撃」をあえて食らいに行くケースはまずないからだ。その場合は、待つとしてもほんの一瞬だからね。 
 

おわりに

 結局のところ「ムズかしい」闘戦記に真剣に向かい合おうとすると、こういう定量的に勘案しがたいリスクリターンをどうにかこうにか扱っていくという「ムズかしい」話になっちゃうコトは免れない。

 しかし実のところ、これはあくまで意識の持ちようの問題にすぎないのだ。

 闘戦記がこういう性質のバトルだとわかっていれば「思うようにいかない感じ」にモヤモヤしたりせず、前向きに「期待値」を高めていこうと思えるハズだ。そして「100%の正解」がなくとも「正解に近い」行動を選び出す努力はできること、そしてその積み重ねが勝敗を決していくことがわかれば、そこに面白みがあることも、闘戦記がけっして「運ゲー」ではないこともわかると思う。

 どんなコンテンツも、人それぞれに面白いと感じるか面白くないと感じるかには差があって当然だ。ただ「面白み」には、それをたくさん見つけたモン勝ちという面もたしかにあるのだ。そして「面白み」は見る角度をほんのちょっと変えるだけで見つかるコトが多々あるモンである。