アストルティアの猫と 現実の猫

 全国7000万人の「猫派」の諸君、ごきげんよう。残り6000万人の「アルマジロ派」のみんなも元気かい?

 1週間ほどDQ10から離れていた僕もようやく「猫集め」できるまでお話が進んだところだ。

 アンいりも同じ進捗だったんだけど、嬉々として向かった猫集め拠点に毒沼が広がっているのを見て、この世の終わりのような顔をしていたよ。

アストルティアの猫と現実

 アストルティアで猫を愛でている諸君に、今日は僕が現実の伝道師となろう。モデルはウチのリアル猫。名前は克(カツ)。

 アストル猫はみな、イイ子である。むしろイイ子すぎる。
 たとえば床でおとなしくしているこの子は、決してイタズラを働かない。目の前に登りがいのある棚まであるのに、乗ったらダメ、ということを理解しているのだろう。なんという自制心だ。

 

 現実。
 猫に自制心などない。かけらもない。
 彼はあらゆる「高い場所」を踏破する。室内であれば登れない場所などない。段差移動に追加コストがかからない浮遊ユニットみたいなモンである。
 彼らの世界に禁足地はなく、むしろ乗ったらダメなところほど狙って乗るのだ。人間の気を引くために。この顔を見ればその狙いは明白だ。

 また、彼らは「人間の気を引くために物を落とす」というくらいの知恵を持っている。そして「これは落としたら危険な物だ」と判断するほどの知恵がない。だから僕は1枚目のアストル猫の写真なんかを見た時には、とっさに「あ、その瓶と皿おわったな」とか考えるのである。

 

 ちょこんと座るアストル猫。
 どこまでもリラックスしているように見えるが、猫を飼っている人間はこの姿勢を「まだちょっと警戒しているのかな?」と判断したりする。

 

 現実。いわゆる「香箱座り」。
 前足を曲げて、胸の奥にまで差し入れている。これは「とっさに動く必要を一切感じていない」ことの表れで、いわば完全に気を抜いている。良いように言えば、心を許している。
 問題は、乗っちゃダメなところに乗ってこの座り方をするという高等煽りテクニックを用いてくることなのだが。

 真面目な話、猫は犬とは違って「しかられる」という概念を基本的に持っていない。しかったところで「イヤなことをされた」くらいにしか思わないので、反省もしないし、降参もしない。我々のラグナロクは永遠に続くのだ。

 

 おねむのアストル猫。
 猫らしく背を丸めて愛くるしくウトウトしている。「猫背」とは曲線美のコトなんだね。

 

 現実。
「猫背」の定義を変革しなければならない事態である。アールデコからの刺客。

 

 おまけ。現実猫の伸びしろ。

 まぁ何を言いたかったかっていうとだね、アストル猫は現実猫の上位互換みたいなモンだ。「かわいい」の権化なのだ。