ノンビリと進化する盾 その理由とは

先日は「盾は非常にノンビリ進化している」というお話を書いた。それを「買い替え時」の問題と結び付けたりしたのだが、今日はまた別の角度から盾を考えよう。

「そもそもなぜ、盾の性能はあまり向上しないのか」。今日のお題はコレだ。
 

上がらないブレス耐性値

 初期から存在するルフの盾がブレス耐性6%を持っており、それが直近のブルームシールドで8%になった。

 大盾の方は、2013年という早い時期にオーガシールドが10%をもらって以降、直近の雷竜までこの数字を維持している。

 盾の効果はどうしてなかなか数値が上がらないんだろう?

 …と、この疑問を解消する前に、ひとつ予想を立ててみよう。
 おそらく盾のブレス耐性値は今後も大きく上がることはない、と僕は思っている。…こんなコト書いたらあとで恥をかきそうで怖いが、書かないと今日の話が始まらないので思い切ったぞっ。

 というのも、盾のブレス耐性値「10%」はそれ自体すでに画期的数値である。これは装備をブレス耐性「理論値」でかためて宝珠を利用することでフバーハ無しのブレス完全無効化を実現できる数字だからだ。現状、大盾の特権である。

 ウン千万クラスの装備が2つも必要になるので、僕を含めほとんどの人に無縁の話ではあるのだが、ともかく一応はそうなのだ。

 するとブレス10%の小盾やブレス11%以上の大盾の登場は、単なる上位装備の登場という以上の深い意味を持ちはじめる。このラインを越えていくには、かなりの思い切りが必要だ。 

 と、これが予想の理由の1つ目。じつはもう一つある。そっちが本題だ。
 

仕掛け人不在の強制力

 話が少しそれるけれど、もし知っていたらダークキング実装当初のことを思い出してほしい。どくガードの話である。

 白箱もゼルメアも無い当時、どくガード装備は多くの人にとって非常な「高級品」だった。にも関わらず、ダークキングと遊ぶにあたってそれはほぼ「必須である」と考えられていた。

 僕個人の経験談としても、どくガード装備を調達するのが難しい友達に「耐性なんて無くてもいいから行こう」と誘っても、断られてしまうコトが相次いだ。一時はアンいりにもそう言われた。

 理由はカンタンである。いくら「無くていいよ」と言われても、いざ「自分に耐性が無いせいで負けた」という事態が起こったら…と想像したら、やっぱり行きたくなくなっちゃうのが人情だからだ。

 コレはつまり、何かが「必須である」という空気は、誰かがそれを声高に叫ぶからというよりも、各自が先んじて「準備しないと迷惑をかけたり、悪くするとヒンシュクを買うかも」と判断するがゆえに生まれるというコトだ。つまり仕掛け人などいないままに醸成されるのである。


 ここで話を盾に戻して、2つの仮定を設けよう。

 ひとつ。ブレス耐性値13%ほどの盾が登場して、ブレスの完全無効化ハードルが下がる。つまり当時のどくガード調達程度の水準になる。
 ふたつ。「フバーハ無しのブレス完全無効化」がある程度以上に有効に働くコンテンツが登場する。

 これらの条件が満たされた時、ブレス耐性が「第2のどくガード」になっていく可能性はないだろうか。

 この事態を防ぐには仮定のどちらかを満たさなければいい。
 ひとつ。ブレスの完全無効化が「普通はムリ!」という状況を維持するコト。
 ふたつ。ブレス完全無効化が有効に働く場面を作らないコト。

 ただし後者をとればバトル設計にヘンな枷が掛かってしまう。ゆえに、前者の方がよさそうだ。

 盾の性能水準は今くらいのままの方が、なにかと都合が良い気がするのである。呪文耐性の方は事情が少し違うが、それでも「魔結界込みでの呪文完全無効化」へと置き換えれば似た話になる。
 

おわりに 宝珠との関連

 この話は「宝珠のヘロヘロを無くそう」という提案が、いっけん良案に思えて実際は危ういのに似ている。

 宝珠の入れ替えはヘロヘロがあるからこそ、少なくとも友達同士であれば「常に万全になんてしなくてもいい」という気軽い空気ができている。

 これがいつでもノーコストで入れ替えできるようになれば「ちょっとの手間なんだから万全にしなきゃかな…?」という空気へと寄っていく可能性が高い。先に触れたように、この空気は誰一人それを強制する人がいなくても生じるコトがあるからだ。

 「ちょっとの手間」になるんだったらそれはそれでいい、と考えるコトも確かにできる。けれども「ちょっとの手間」であれ、それはプレイ時間が少ない人にほど相対的に大きな負担になる。逆進課税みたいなモンである。どくガード問題も似た構造を持っていた。

 「迷惑をかけないように」という自発的な配慮から生まれる空気が、「いいよいいよ気にしなくて」という優しさのムードにすら勝ってしまい、強制力を帯びる。コミュニティの原罪みたいな話になってきた。つまるところ「準備が不可能ではない」コトはなんであれ「準備しなきゃ…」という圧に変換される恐れがあるワケだ。

 ならば「普通はムリ!」のままであった方が、なにかと都合がいいのだ。ゆえに「緩和」という調整は想像以上にデリケートな問題をはらんでいる。僕らは日頃思っているよりもイイ感じに調節されたバランスの上で、アストルティアを過ごしているのかもしれないね。